農地転用についての改変があるかもしれないですよね。 ガチの人から怒られそうでちょっと怖い話題

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緊急事態宣言発出??宣言出したら、GOTOの時のようにマスコミが

「医療機関の状況から一転して、事業者の悲痛の声を延々垂れ流す」

という華々しい茶番が繰り広げられるだけなのに・・・

ただ、給付金は歓迎ですよ。

耕作放棄地を耕しながらひたすらハナホジのごましお

農地の壁

発電事業者の方は、1度は農地の障壁に計画を断念されたことがあるのではないでしょうか?
地主さんは「土地を譲りたい」事業者は「土地を分けてほしい」需要と供給がマッチしても取引が成立しない。
そこには「農地法」の壁が立ちふさがっています。

「日本の食料を守るために、(特にお金をかけて整備した)農地を守る」

「日本の食料と農家の生活を守る」

という趣旨で始まった農地法ですが、

1,000㎡の農地があって米をつくっても年間10万円の売上ぐらいしかみこめない。
そのため後継ぎがなく、周囲の目と自分のプライドで続けている農業
本人も加齢で体が動かず「もう田んぼできない。」
親が亡くなったが、自分は「田を継げない。」

こんな状況が各地で起こっていて、本来農家を守るための法が足枷となって
農家を逆に苦しめている。

そんな農地に光を当てようと始まったのが「ソーラーシェアリング」
FITの財源を農家再興とシェアできる夢のプランですね。

ただ「ソーラーシェアリング」は広まらなかった。

それは、がんじがらめの規制にありました。

・実質農家でないと始められない(農家になるのも難しい)
・通常の農地の8割の収穫量を上げ続けないといけない
・転用許可期間が短くファイナンスが厳しい

代表的なのはこんな感じでしょうか、ほかにも微に入り細に入りあるようです。

農地解放

2050年カーボンニュートラル宣言から、この農地転用などの規制を緩和すべく動きが出てきました。

「荒廃農地をベースに風力・太陽光を進めてはどうか?」

という部分に現実味が出てきました。

https://www.youtube.com/watch?v=LcTpk3T7U1g

まあいい話なのですが、これは同時に「営農を方便とした投資家が色めきだつ」
ことを意味します。
農地の「九電ショック」再びというわけです。

シェアリング初期から、このような「どうせソーラーやりたいだけでしょ?」
という風聞が吹き荒れたため、
農家出発でシェアリング目指した人や、農家になることを目指しシェアリングに
可能性を求めた人などは、もれなくエセ認定されて、農業委員会、自治体から
あらぬ疑惑をかけられたり、規制をクリアできなかったりご苦労されたと聞いています。
そのため、シェアリング業界ではこの話題はセンシティブなのかなとも思います。

蚊帳の外から見ていると

「古参が幅を利かせすぎるとファンが増えない。」

言い得て妙な言葉です。
マイナースポーツなどが急に脚光を浴びると「にわか」が増えますが
面白くない古参は「にわか」を排斥、弾圧し始めるというやつです。

FIT全量でも「お小遣い稼ぎ」とか「チンピラ」とか色々言われながら
低圧全量はニワカ勢にもかかわらず太陽光全体のうち3割の接続量を担いました。

おおよそ電気の事を知らない発電事業者が星の数ほど誕生しました。
「電気の専門家」の目から見ると許しがたいことかもしれません。

この状況を超えて進んだから今があると僕は思っています。

何が言いたいかというと

・規制緩和歓迎
・農家もエセもシェアリングできればいいのでは?
・農業はやりたい人だけでもやればいいのでは?

ということで、シェアリングが下火になりつつある再エネ(太陽光)に再点火してくれることをお祈りしています。

さつまいも最高!!

コメント

  1. yuki2822 より:

    実施者一個人から。
    「古参として面白くないから邪魔したい!!」

    はじょーだんで(笑)、

    「悪評が立つことをやられると、まともにやりたい私が風評被害で迷惑するから
    エセは排除したい」

    これが真実に近い気持ちですね。

    野良発電所の存在で、太陽光発電全体に悪評が立ったのとおんなじです。

    野立てであろうが、シェアリングであろうが、
    エセはキライです。

  2. gomashio より:

    >「悪評が立つことをやられると、まともにやりたい私が風評被害で迷惑するから
    > エセは排除したい」
    きわめてごもっともで、僕も実はそう思っている部分はかなりあります。

    一方、規制する側の言で、低圧発電所の最低半分は「野良」だそうなのです。
    施工業者が作ろうが、素人が作ろうが半分「野良」なんだそうです。
    作った側が野良を自覚している割合ってその内のほんの僅かしかないのではないかと思います。

    何がいいたいかというと「ニワカ議論は永久に消滅しない」と言う事です。
    つまり、ニワカがいる前提で制度設計自体をやらないと
    2050カーボンニュートラルなんて机上の空論過ぎるかなーと思っている訳であります。

    エセと共存していても、イラつかない世界が僕にとっては都合のいい世界なんです。
    (※あくまで、自分はエセでないと主張しています(笑))