「サイレントウォー」という怖い話

Pocket

戦争と聞いて、何を思い浮かべるだろう。戦車が国境を越える。ミサイルが落ちる。街が壊れる。だから、戦争が始まれば誰でも気づく。 ……本当にそうだろうか。 昔の戦争は分かりやすかった。敵軍を撃破し、都市を占領し、領土を奪い、相手を降伏させる。ところが現代では、必ずしも相手国を占領する必要がない。 ある国が別の国に「この政策をやめろ」と要求するとする。普通なら外交交渉になる。しかし要求する側が、相手国の資源、部品、市場、金融、通信に大きな影響力を持っていたらどうだろう。テーブルに着く前から、「言うことを聞かなければ損をする」という状態を作れてしまう。 さらに、その国の情報空間にも影響力を持っていたらどうだろう。政府への不信を増幅させる。社会の対立を煽る。メディアや専門家を信用できなくする。そして最後に、「政府が何を言っても信用できない」という社会を作る。 ここまで来れば、戦車を一台も送り込む必要はない。相手国の意思決定能力そのものが、すでに弱っているからだ。 この記事では、それを便宜上「サイレントウォー」と呼ぶ。軍事用語として定義するつもりはない。占領するのではなく、その国が「自分の意思で選べる範囲」を静かに狭めていく——そういう競争の形について考えてみたい。 そして最後に、日本を見る。たぶん、そこが一番怖い。

情報戦は、意見を統一しようとしない

情報戦というと、「外国が嘘の情報を流して国民を騙す」というイメージがある。もちろん、それもある。しかし、もっと巧妙な方法がある。 人々に同じ意見を持たせる必要は、そもそもない。むしろ「絶対に分かり合えない状態」を作ったほうがいい。 SNSで「政府は無能だ」という投稿が流れる。「お前は何も分かっていない」と反論が付く。「政府を擁護する奴は工作員だ」という声が出る。反対側から「反政府派は売国奴だ」と返ってくる。そしていつの間にか、政策の話ではなく、人間同士の殴り合いになっている。 ここが重要だ。情報戦の目的は、必ずしも「相手に自分の思想を信じさせること」ではない。相手が何を信じればいいのか分からなくなれば、それで成立する。 もちろん、政府を疑うこと自体は悪くない。むしろ民主主義には必要だ。政府を監視し、政治家を批判し、政策を疑う。全部いる。 問題は、その先にある。 政府を疑う。メディアも疑う。専門家も疑う。統計も疑う。選挙結果も疑う。そして最後に、SNSで見た情報だけを信じる。 健全な民主主義には、こういう循環がある。
政府を疑う → 資料を調べる → 複数の情報源を比べる → 自分の判断を修正する
壊れた社会の循環は、こうなる。
政府は嘘だ → メディアも嘘だ → 専門家も嘘だ → だから自分が見たい情報だけを信じる
この二つは、入り口が同じなのに、行き先がまったく違う。 民主主義に必要なのは「意見の違い」だ。しかし「事実について合意できない」状態になると、民主主義そのものが動かなくなる。

日本には、すでに火がある

内閣府の「社会意識に関する世論調査」(令和7年10月調査)では、「悪い方向に向かっている」と感じる分野の首位は物価だった。その割合は73.1%。4年連続の首位で、比較可能な範囲では過去最高の水準である。同じ調査では、「国の政策に国民の考えや意見が反映されていない」と答える人が7割前後という状態が、長く続いている。 つまり日本社会にはすでに、「生活は苦しくなっている」「自分たちの声は届いていない」という強い実感がある。
内閣府の世論調査で「悪い方向に向かっている」と感じる分野の上位6項目を示した横棒グラフ。物価が73.1%で最も高く、以下、景気51.8%、国の財政40.6%、治安37.7%、経済力37.7%、食糧35.5%と続く。
物価を「悪い方向」と答えた人は73.1%。4年連続の首位で、比較可能な範囲では過去最高だった。
これは外国勢力の仕業ではない。物価、賃金、社会保障、少子高齢化、政治への不満。国内の要因だけで十分に説明がつく。ここは非常に重要だ。 しかし。 火が自然に燃えていることと、その火に誰も油を注げないことは、別の問題だ。 SNSは、人間の怒りと不安をとてもよく増幅する。冷静な投稿より、「ふざけるな」「こいつらは全員嘘つき」「日本はもう終わりだ」のほうが目立つ。そして何より、敵を設定すると話が簡単になる。「なぜ生活が苦しいのか」という難しい問いに、「政府が悪い」「外国人が悪い」「マスコミが悪い」「老人が悪い」と答えればいい。複雑な現実を、一つの敵に押し付けられる。人間は、この誘惑に弱い。 だから、外から仕掛けるのは難しくない。「日本人はこの政党を支持しろ」と直接言う必要はない。それでは露骨すぎる。もっと簡単なのは、日本人同士を喧嘩させることだ。右と左。都市と地方。若者と高齢者。日本人と外国人。マスコミとSNS。それぞれの対立を少しずつ刺激し、「相手は敵だ」という感情を強くする。あとは勝手に拡散されていく。百個投稿する必要はない。一つの火種を投げ込んで、日本人が十万回拡散してくれればいい。 普通の戦争なら、敵が攻撃してくる。だから防御できる。しかし情報戦では、自分たちが自分たちを攻撃しているように見える。誰が始めたのかも、本当に外国が関与しているのかも分からない。ただ一つ確かなのは、社会の中に敵意だけが残ることだ。 ここで、かなり嫌な問いが出てくる。仮に外国勢力が日本を攻撃したとして、政府を倒す必要があるだろうか。占領する必要が、日本人を自国の思想に改造する必要があるだろうか。 必ずしも、必要ではない。 政府が何を言っても信用されず、メディアが何を報じても信用されず、選挙結果にも疑念が持たれ、国民同士が互いを敵だと思っている。この状態さえ作れれば、その国は危機のときにまとまって動けない。それだけで、十分な戦略的利益になりうる。 だから、日本人に外国を好きにさせる必要すらない。「中国を好きになれ」とも「アメリカを嫌え」とも言わなくていい。ただ、「誰も信用するな」という空気を少しずつ強くすればいい。そして最後には、人は自分のタイムラインだけを信じるようになる。究極の情報バブルだ。

戦争は、ミサイルから始まるとは限らない

もちろん、そんな単純な話ではない。 現時点で「外国勢力の情報戦によって日本の政治不信が作られた」と断定できるわけではない。国内の政治・経済・社会構造だけで説明できる部分が大きいし、SNSで過激な発言が増えているからといって、それが外国の工作だとも限らない。むしろ、そこを短絡的に結びつけること自体が危険だ。「気に入らない意見は工作だ」と言い始めた瞬間、その人自身が分断の担い手になる。 では、何を警戒すればいいのか。私は、「誰が言ったのか」より「社会に何が起きているのか」を見るべきだと思う。 立場が違う人同士でも、事実については話し合えているか。政府を批判しながら、政府の発表が正しいときには、それを認められるか。メディアを批判しながら、自分に都合の悪い記事も読めるか。そして——自分が間違っている可能性を、まだ残せているか。 もしかすると、未来の戦争の始まりには、爆発音がない。サイレンも鳴らない。国境を越える戦車もない。 政府が何かを発表する。「どうせ信用できない」と書かれる。選挙が行われる。「どうせ裏で何かやっている」と書かれる。専門家が説明する。「こいつも利権だ」と書かれる。 そしてある日、本当に大きな危機が起きる。 政府が言う。「これは本当です。今すぐ対応してください」 しかし、誰も信じない。 その瞬間になって、初めて気づく。 ——自分たちは、いつからこんなに、何も信じられなくなったのだろう。 本当に怖いのは、敵がいることではない。敵がいなくても社会が勝手に壊れていくこと。そして、その壊れかけた社会に外からほんの少し力を加えるだけで、分断がさらに進みうることだ。 だから「サイレントウォー」を単純な陰謀論として片付けるのも、「外国が日本を裏から操っている」と簡単に信じるのも、どちらも危険だと思う。必要なのは、その中間にある態度だ。証拠を見る。構造を見る。数字を見る。そして、自分自身の認知も疑う。 これができる社会なら、外からの影響工作は難しい。逆に言えば、何も信じられなくなった社会ほど、外から揺さぶりやすい。 だから最後に、少しだけ怖い問いを置いておきたい。 あなたが今、SNSで「こいつらは敵だ」と思っている相手。その人は、本当にあなたの敵なのだろうか。 それとも——あなたにそう思わせること自体が、誰かにとって一番都合のいい状態なのだろうか。 戦争は、相手が撃ってきた瞬間に始まるとは限らない。もしかすると、私たちが「誰も信用できない」と思い始めた瞬間には、もう始まっているのかもしれない。

むすび

個人が戦争を起こすことはできない。個人同士のいさかいは、せいぜい喧嘩だ。 けれど八月十五日、あの式典の日には、ネット上で毎日のように誰かを敵と呼んでいる人たちも、平和という言葉を盾に、勇ましく暴れまわるのだろう。 そのとき私が見極めたいのは、言葉の勇ましさではない。 その中に、本当の平和への想いが、どれだけ含まれているのか。 前の大戦は、暴走した民意が後押ししたとも言われる。 その民意が、かつてよりずっと簡単に、ずっと速く燃え上がる環境が、いま整ってしまった。 では、今の民意は、自分で自分を止められるのか。 ——一度、落ち着いて考えてみたい。

出典