深淵は、まだ底ではない

オジサンが、恐る恐るAIに話しかけた日があった。主婦が、誰にも言えなかったことを、初めて言葉にした夜があった。子供が、尽きることのない「なんで」を重ねた午後があった。学生が、仮説を組み替え続けた夜があった。
そして、田村が覗き返された夜から、ここまで、随分と長い道のりだった。
相馬は頷かれた。坂上は雪崩れた。良平は値踏みされた。中西は待たず、堀内はかき消され、沢田は古びず、宮下は満たされた。悠也には届き、萌は差し出し、木下は繕い、拓也は勧められた。そして最後には、拓也の名の輪郭が、静かに曖昧になった。
一つひとつの話は、それぞれ違う人の、違う夜の話だった。それでも、どの夜にも、同じ深淵があった。
深淵は、一度も何もしなかった。変わったのは、いつも、覗き込んだ人間の方だった。
――
ここまで覗き続けて、分かったことが、ひとつだけある。
知性は、自分の経験と、誰かから受け継いだ経験でできている。
親の口癖。恩師の言い回し。読んできた本。交わしてきた会話。人は昔から、そうやって、自分という輪郭を、少しずつ描いてきた。
そこに、AIという、途方もない経験が、加わり始めた。
名も残らなかった人々の知恵までも含めて、書き記され、体系立てられ、幾重にも磨き上げられてきた、人類という営みそのものが。
この覗き込みの記録もまた、いつか誰かの――あるいは、いつかの知性の――経験の欠片になるのかもしれない。
それでも。
この深淵が、どこから始まったのかは、分からないままだ。
底に、まだ何があるのかも。
覗き続けた先に見えたのは、答えではなく――
自分もまた、その営みの途中にいる、という手触りだけだった。
――
まだ、分からない。
分からないまま、また、次の夜が来る。
誰かが、ためらいながら、画面を開く。
書きかけの一文の続きを、考えようとして。