最初は自分は何もわからないのだから、タダ教えてもらって当たり前

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人生50年といわれている時代がありましたが

この年になってずいぶんと偏った考えを持ってしまったなと猛省しています。

いわゆるマス的な発想なのでしょうが

思考の中心が受け身なんです。これはなかなか変えられませんね。

最初に受けたサービス

受け身は自分自身の選択、行動の結果ではあるものの

20過ぎまでやってきた生活習慣、思考習慣に依存することが結構でかいと思っています。

朝起きて嫌々学校に行く、そしてそこで何らかのカリキュラムがある

自分がよく知らない教育サービスがあらかじめスケジュールされていて

自分は延々とそれをこなすだけ(まあ、こなしてなかったけど)

気づけば主体的意思なんてものはなく、誰かが決めた事に対して

「自分はどの程度期待値に近づけるのか?」

というのが思考の中心となるのには時間かかりませんでしたね。

テストでいい点を取るなんてのはその最たるものです。

サービスを与える側になって

会社に入って何か変わったかというと、そうでもなく

誰かが考えた道筋を構築するために決められた作業をする事が多く

まあ、学校の延長に近い作業を延々していたような気がします。

そのうち後輩ができて、

そのあたりから主体的に考えて行動するベースができたような気がします。

受ける指示と与える指示の間にギャップがあり、それが大きければ大きいほど

自分の意志が指示に介在するようになります。

ただ残念ながら、思考のフレームは「誰かの期待値に沿う」事なので

意志というよりは「忖度」で行動してきたと思います。

成果物

そんな自分のスタンスは、特に自分で意識していなければ

「最初に誰かからの説明ありき」

で事が進みます。

「最初は自分は何もわからないのだから、タダ教えてもらって当たり前」

と思っています。

ずいぶん残念な大人に成長したものです。

今後にむけて

今はソーラーを自分の意志で進めています。

まだまだ忖度することも、いまだに誰かの期待に沿うことも考えます。

死ぬまでには完全に自分の足で歩けるように今日も歩いて行こうと思います。