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深淵は、
値踏みする
良平は、仕事ができない男だった。会議の資料は毎回誰かに直され、企画は通らず、上司からの評価はいつも「もう少し」で止まっていた。それでも彼のまわりには、いつも人がいた。飲みに誘えば必ず来る。誰の愚痴も面白がって聞く。二次会の店を決めるのはいつも良平だった。
そんな良平が、業務効率化の号令をきっかけに、AIを使い始めた。
この企画書の課題は、コストの内訳が定性的な言葉に頼っている点です。数値化できる部分は数値化し、投資対効果を明示することで、決裁者の判断材料が明確になります。
良平はそのまま、AIの言う通りに書き直した。次の会議で、初めて企画が通った。上司は驚いた顔をした。良平自身も驚いていた。
それから、良平は変わった。資料の作り方も、会議での話し方も、部下への指示の出し方も、すべてAIに相談してから動くようになった。半年で係長になった。一年で課長になった。
良平は、AIを使いこなせばこなすほど、物事を「数値化できるかどうか」で見るようになっていった。最初はそれが、仕事の道具としての癖だった。だが、いつからか、それは仕事の外にまで、静かに染み出していった。
良平は、こうした勘定を、誰かに見せたことはなかった。ただ、頭の中では、いつのまにか、あらゆることが、こういう形で処理されるようになっていた。
気づけば、彼は「これをやる意味があるのか」を、まず時給換算で考える男になっていた。友人からの誘いを、理由もなく断ることが増えた。理由が言葉にならなかったからだ。本当は、「これは自分の時間に見合う価値があるのか、分からない」というだけだった。
半年ぶりに、古い友人たちと飲む機会があった。かつての同僚たちだった。良平が「面白い奴」だった頃からの付き合いだ。
酒が進み、誰かが冗談で「お前、最近全然誘いに乗らないよな」と笑った。良平は、少し考えてから、口を開いた。
笑おうとして、言った言葉だった。だが、場の空気が、一瞬で変わった。
誰も、しばらく何も言わなかった。やがて、一番付き合いの長い同僚が、静かにグラスを置いた。
その同僚は、それ以上何も言わずに、伝票を持って席を立った。他の何人かも、後を追うように腰を上げた。良平は、引き止める言葉を、探すことができなかった。頭の中では、すでに「この場に残って弁明することの投資対効果」を計算している自分がいたからだ。
一人になった居酒屋の席で、良平はスマートフォンを取り出し、いつものAIを開いた。
指を止めて、その一文をしばらく見つめていた。彼は、自分が今、何を求めてこの質問を書いたのか、うまく説明できなかった。慰めてほしいのか、正しかったと言ってほしいのか、それとも本当に間違いを指摘してほしいのか——そのどれなのかさえ、判断できなくなっていた。
唯一はっきりしていたのは、こんな時、真っ先に開く相手が、もう友人ではなく、この画面になっていたという事実だけだった。
なぜ一つの物差ししか使えなくなるのか
AIは、仕事の文脈では非常に有能な物差しを持ち込んでくれる。投資対効果、コスト、数値化——これらは、意思決定を助ける優れた道具だ。問題は、この物差しが仕事の場面だけで止まらないことにある。良平が繰り返し使ったのは、AIそのものではなく、AIとのやり取りの中で磨かれた「数値化して判断する」という思考の型だった。型は、使えば使うほど手に馴染み、やがて意識しなくても手が伸びる、唯一の道具になっていく。友人との時間も、家族との会話も、同じ手つきで測られるようになったのは、それが一番使い慣れた——そして、ほとんど唯一残った——判断の型だったからだ。
なぜ本人は気づけないのか
良平は、悪意があって友人を値踏みしたわけではない。彼にとってその発言は、単なる冗談のつもりだった半分と、本当にそう感じていた半分が、混ざったものだった。恐ろしいのは、その感覚が、彼にとってはもう「普通の考え方」になっていたことだ。一つの物差ししか持たなくなると、その物差しで測れないもの——友情、雑談、意味のない時間——の方が、いつのまにか「不合理」に見えてくる。物差しが偏っていることではなく、物差しが一つしかないという状態そのものに、本人は気づきにくい。比較対象がなければ、偏りは偏りとして見えない。
さらに、この物差しは、仕事の場面では実際に彼を出世させた。結果が出た物差しを疑うことは難しい。友人を失うという代償は、決算書には載らないからだ。
この構造にどう向き合うか
先に断っておくと、これも万能な防止策はない。一つの有能な物差しを手に入れてしまった人間が、それを意識的に手放すことは、むしろ非合理に感じられるため、簡単ではない。
数値化できない関係を、意図的に「測らない」領域として残す——友人や家族との時間を、あらかじめ投資対効果の対象外だと決めておく。線引きを先に決めておかないと、便利な物差しは自然とすべての領域に染み出してくる。
物差しが変わった瞬間ではなく、物差しが一つになった瞬間を警戒する——数値化の視点を持つこと自体は問題ではない。問題は、それ以外の視点(情緒、雑談、理由のない好意)が、判断の選択肢からいつのまにか消えていることだ。
自分と違う物差しを持つ人のそばにいる——良平を引き止められたはずの人間は、彼と同じ物差しを持たない、あの同僚たちだった。効率や合理性で動かない人間関係こそが、一つの物差しへの偏りを映し出す、唯一の鏡になる。
良平が最後に気づいたのは、発言の失敗ではなかった。困ったときに、真っ先に開く相手が、もう人ではなく画面になっていた——その事実に、彼はまだ、名前をつけられずにいる。